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ヨロコビ
第319回学生ブログ【29きゅうDiary】「急にカウントが始まる月」
雑記
円山川沿いにあるSL公園。昔、走っていた蒸気機関車が公園で今日も眠っている。
公園は遊具、芝生、グランドで広がっており、休日の昼間はサッカーやキャッチボール、かけっこをしている子どもたちの元気で溢れており、それを眺めている母たちも世間話で盛り上がっているようだ。
そんな様子とは別に。
一つしかないゴール、軽いレイアップシュートも跳ね返すスチール製の板、真砂土で踏み込みが上手くいかないバスケコートで
少し本気になっている人がいた。
一つの勝負のために。
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どうも。ヨロコビです。
このブログが投稿される日には、いよいよクリスマスがある12月に入ります。
PAPは公演真っ最中。静思堂も客席で温かくなっているときです。
授業もあと4周、2025のゴールがようやく見えてきました。
本当につい最近まで、8月9月と暑かったなと…
時間の経過は年を取るにつれて、ますます早く感じていくそうですね。
時間は非常に興味深いです。
同じ1秒、1分、1時間なのに、長さが違うと感じる時がある。
「早く終わらないかな…」と思う時ほど、時間は進んでくれず、「頼むから、まだ終わらないでくれ!」と思う時ほど、時間は急加速してくる。
これは、感情が影響しているからだと思うけど…
「時間」という概念を忘れて…ただ今のことに夢中になっている。
この時って「永遠」に近い感覚なのかなと考える自分がいます。
この人生には始まりがあれば、終わりもある…
「時間」と一緒に生きているのは間違いないはずです…
最近、キリスト教の聖書を読んだ時に、3000年前に書かれた「伝道者の書」という書物に
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。
しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。」
と書いてあって、「なるほど」と納得する自分がいました。
神様がいる前提の話ですが、もし、神様が人を作ったなら、その目的は何だろうと。
キリスト教といえば、「隣人愛」と授業で教わるけど…神=愛と言えるそうです。
ヨハネの手紙という書物には
「神は愛です。愛のうちにとどまる人は神のうちにとどまり、神もその人のうちにとどまっておられます」
と書いてあります。ヨハネの福音書にも、
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。
それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
と書いてあります。
この人生も、自分の存在も、神の愛あって、というのなら、その見捨てない「愛」って!
もの凄い安心する自分がいます。
2025年もあと1ヶ月で終わります。
楽しかった、嬉しかったことだけでなく…
つらかったこと、後悔していること…「これ何の目的があったんだろう」ということも、
何かしらの意味があったと信じて、晴れて2026年を迎えたいですね。
温かくしてね。
ヨロコビでした。
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職員が落ち込んでいる人に声をかけた。
「やっぱりコートは、アスファルトが良いですよね」
「そうですね…え、作るんですか??」
「いや…まだわかんないけど…」
それから2年後…
バスケ専用コートが11月にSL公園に登場した。
人は思った。
地元の中学生に1on1で負けたが、それで良かったと。